日语毕业论文(共12篇)由网友“daheren”投稿提供,下面是小编整理过的日语毕业论文,希望能帮助到大家!
篇1:日语毕业论文
日语极富变化,不但有口语和书面语的区别(书面语的替代符号非常多),还有简体、礼体(现代归类到敬体中)和敬体、普通、礼貌(现代归类到郑重中)和郑重、男与女、老与少的区别。不同行业和职务的人说话也不同。
最新日语毕业论文范文一:
中日「美人を名花に譬える」F象における一考察
DD『源氏物Z』と『t楼簟护蛑行膜
要旨
中国の文学作品であろうと、日本の文学作品であろうと、「美人を名花に譬え」という描写法はよくみられる。『t楼簟护稀钢泄四代名著」の一つとされて、中国小h史上で最高の作品と言われる。『源氏物Z』は世界で最古のL写g小hとして、よく日本の『t楼簟护趣い铯臁⑹澜缥难史上も大切な地位を持っている。
そして、この二名著は同じに々な美しい女性を描き出した。そこから「美人を名花に譬え」という特栅颏蓼趣幛椁欷搿1靖澶稀该廊摔蛎花に譬え」というF象で、例の比^を通して、共通点と相`点を探り出したい。共通点から、中国も日本も花に同な美Qを持っている原因を表明したい。そして、共通点のYにLした相`点の原因を分析したい。
キ`ワ`ド:源氏物Z、t楼簟⒚廊恕⒚花
摘要
中日两国都有“名花喻美人”的习惯,特别是文学作品中多有出现。《红楼梦》是我国四大名著之一,是中国小说史上的巅峰之作。《源氏物语》是世界上最早的长篇写实小说,被称为日本的《红楼梦》,在世界文学史上占有相当重要的地位。
这两部世界文学巨著,都描绘出了姿态万千的绝色女子,而且两部作品中有一个共同的特征――名花美人互喻。本文将通过对名著中“名花喻美人”的实例进行比较,分析存在这一共同现象的原因。同时基于这一共性来分析其差异性,进而揭示这一现象体现出的文化差异,并对其原因进行考察。
关键词:源氏物语,红楼梦,名花,美人
目次
要 旨
摘 要
はじめに
1先行研究
1.1『t楼簟护位à摔膜い皮窝芯
1.2『源氏物Z』の花についての研究
1.3 研究の目的と意x
2 二名著から登訾工朊廊摔蚧à似─à肜とその原因
2.1美人を花に譬える例
2.2その原因
3 二名著における美人を花に譬える例の相`点とその原因
3.1相`点
3.2その原因
おわりに
参考文献
x 辞
はじめに
中国の文学作品であろうと、日本の文学作品であろうと、「美人を名花に譬え」という描写法はよくみられる。_かに、花と女性は`う分野での美の化身で、「美」は花と女性の共通点である。しかし、美人を名花に譬える原因はただそこにとどまるのか?ほかに何かの原因がLしたのか?そして、同な文学F象であっても、中国と日本のはどんな`うところがあるのか?どんな文化唤yと文学唤yによって、そんな`いを招いたのか?したがって、中国と日本の小hを比^して、以上の}を研究しようと思う。
『源氏物Z』は物Zとしての虚の秀逸、心理描写の巧みさ、筋立ての巧@、あるいはその文章の美と美意Rのさから日本文学史上最高の茏鳏趣丹欷搿!甘澜缱罟扭伍L篇小h」というuもある。『t楼簟护稀钢泄四大名著」の一つとされて、中国小h史上で最高の茏鳏妊预铯欷搿Cg|も壅iし、『t楼簟护蛑泄封建社会の百科辞典と称されている。中国芸g研究院副院Lc善のでいえば、世界文学史上、『t楼簟护郅墒澜绀扦饯螭胜冥び绊を与えた小hはなかったという。
『源氏物Z』であれ、『t楼簟护扦れ、世界文学史で大切な地位を持っており、それぞれ日本と中国の代表作である。二つの作品もそれぞれの国でもっとも典型的な小hで、既に形成された文化唤yや文学唤yも克明にされた。ですから、「美人を花に譬え」というF象をこの二つの名著において研究すれば、もっとも赝のあるYをまとめられると思っている。したがって、『源氏物Z』と『t楼簟护趣いΧ名著をxんだ。本稿は『源氏物Z』と『t楼簟护摔ける、「美人を名花に譬え」というF象で、例の比^を通して、共通点と相`点を探り出したい。共通点から、中国も日本も花にどんな美Qを持っている原因を表明したい。そして、共通点のYにLした相`点の原因を分析したい。
1 先行研究
1.1『t楼簟护位à摔膜い皮窝芯
F在、国内外でも『t楼簟护取涸词衔镎Z』にvしての著と文が多い。そして、「美人を花に譬え」というF象においての文と著作も少なくない。国内では、北京Z言大学hZ学院の周思源は「t楼簸诬啃g魅力」という文で、『t楼簟护扦蜗招预人物の\命やh境などにして表Fしただけではなく、建物や器物や草花やの`などのかいところまでによって表Fしてきた。また、『t楼簸作方法』という著で、象招预虮恧工郡幛摔瑜物象符号系yを用いた。花もその中で大切な物象であるという。『t楼簟护蜓芯郡工T家の周汝昌は『t楼簸诬啃g魅力』と『t楼小v』でそう述べた。曹雪芹が花をして『t楼簟护闻性イメ`ジを作り、女性のY末もそれによって暗示された。さらに、『t楼簟护闲陇筏て独特な『群花V』となされる。
国外では、日本学者の伊藤漱平の《『t楼簟护遂钉堡胂栅趣筏皮诬饺丐壬と-林黛玉、晴ブンKびに香菱の龊稀筏壬中美浃巍丁杭t楼簟护沃肖魏L-簸问澜绀爽FgをつめてDいた花-》二つの文で、『t楼簟护悉瑜花を用いて女性イメ`ジを象栅筏郡长趣蛱岢訾筏啤⒕咛宓膜肆主煊瘠淝绁芝螭趣いθ宋铳ぅ岍`ジを分析した。
1.2『源氏物Z』の花についての研究
『源氏物Z』にvして、国内では上げればきれないほど多い。1936年、周作人は『日本文化』という文章の中で「源氏物Zはまさに日本のt楼簸馈护いていて、始めて『源氏物Z』を『日本のt楼簟护群簸螭馈6十世o八十年代、N子黏巍涸词衔镎Z』の中国ZU本が世にいた後、中国の『源氏物Z』についての研究が始まった。四川外国Z学院の教授姚继中は著作の『「源氏物Z」と中国文化』でそういう点を提出した。『源氏物Z』が日本唤y文化と文学に生じたものだが、それと同rに中国唤y文化の精Aも入れてzんだという。そして|方文化を研究しているT家叶渭渠は『日本文学史』と『日本文明』で、『源氏物Z』が体Fしてきた教Qや自然Qや美Qなどと中国文化と文学とのvSを述べた。そして、『源氏物Z』と『t楼簟护比して、相`点と共通点を指摘した。また、国内で『源氏物Z』の登鋈宋铩たとえば源氏光や紫の上、玉N、末摘花、朝などについての文と著作も多い。
日本では、芳R矢一は彼の著『国民性十』と『日本人』でそう述べている。『源氏物Z』であっても、その中から出た和歌であっても、花に好んで、よく花のことを描写して、人を花にたとえる。それは、R作文化によって形成してきた日本人の新植物性という影が文学に及んで、そういう文学唤yが定まったからである。そして、日本の学者青木登は『源氏物Zの花』という作品で述べたように、「季を彩る花、その移ろいの中に「源氏物Z」の世界は展_された。全五十四帖に登訾工牖à蚋魈ごとに取り出し、その花を通して「源氏物Z」の世界を旅する。」
1.3 研究の目的と意x
上述のように、国内外でも、たくさんの学者や研究者は『源氏物Z』と『t楼簟欢つの作品において、多くの著や文を作り上げて、その二つの作品から表Fしてきた「美人を花に譬え」という描写についても研究した。しかし、その文学F象を二つの作品において比べて研究することはまだない。そして、大部分の研究者はただそのF象の共通点を探し出して、共通点のYにLしていた相`点がつからなっかた。私の文の目的は例の比^をして、共通点と相`点を探し出し、それぞれの原因をつかり、「美人を花に譬え」という描写を通して、中日文化と文学のそれぞれの特性を探求したい。それによって、中日の「花を美とする」という共同の美Qがあるので、日本と中国の文化や文学の相互理解と交流を深める。
2 二名著から登訾工朊廊摔蚧à似─à肜とその原因
2.1 美人を花に譬える例
上述のように、二つの小hも一人の男子をめぐってg山の女性を描いたとか、共に国内でも世界でも大切な地位がもっているとか、いろいろな共通点をもっている。しかし、その二つの小hをよくiむと、ある共通点を出さなければならないと思われる。それは花のことである。それでは、『源氏物Z』と『t楼簟护沃肖ら出てきた女性を花に嗓à坷をい菠皮撙瑜Α
まず、『源氏物Z』からてみよう。『日本文学事典』で述べたように、『源氏物Z』という作品の中に、自然にvしての描写であろうと、人物にvしての呼称げあろうと、嗓趣てもきれないvBをもっている。その通りで、『源氏物Z』の女性例えば夕、常夏、末摘花など直接に植物の名称によって命名することは明らかである。
具体の例をてみよう。紫の上は登訾工rは三月の三十日だったので、京の@はもう散っていたが、途中の花はまだ盛りのに荬扭い俊¥饯筏啤⑨幛堑訾工胱悉紊悉@に譬えた。[4]
源氏は六条のF女を名花に、中将を朝に譬えた。また、末摘花をt花に譬えた。「高くLくて、先のほうが下に垂れた形のそこだけが赤かった。」という。それは彼女の鼻の姿である。赤いから、彼女をt花に譬えた。[6]
夕は源氏と出会ってから、夕に譬えた。また、「山がつの垣は荒るともをりをりに哀れはかけよ嶙婴温丁工趣いυで夕は自分の子供即ち玉Nに可郅る莩证沥虮恧工郡幛恕⒂耵Nを嶙婴似─à俊[7]
_かに日本学者青木登は『源氏物Zの花』という作品で述べたように、「季を彩る花、その移ろいの中に「源氏物Z」の世界は展_された。全五十四帖に登訾工牖à蚋魈ごとに取り出し、その花を通して「源氏物Z」の世界を旅する。」
そして、『t楼簟护蛞てみよう。『t楼簟护堑訾筏颗性は108余りに_したが、それぞれの性格でも容貌でも`って、よく後世の人々に感心させる。gは、『t楼簟护恰⒉莼à雒妞诉m辘丹护毪郡幛坤堡扦悉胜、黛玉の潇湘馆であっても、宝钗の蘅芜苑であっても、その名も主人の葙|を引き立てたと言えよう。また、大Q@の人々が集まってを作る「海棠社」も白い海棠によって出た名で、芒NのH、花神を祭るために、黛玉は後世の人々に机を叩いて~mさせる「葬花~」を作った。
もっとも例とい菠椁欷毪伽なのは宝玉のQ生日に行った「行名花令」、巧みにそれぞれの女性を各自の萘て、L姿、性格、Y末とm辘工牖à似─à俊
黛玉は芙蓉という`を引いて、`の上に「L露清愁」をいて、傍らに「ほかの人よりずっと美しい女性はよくないY末にすむ。黛玉を芙蓉に譬えた。
宝Oは牡丹という`を引いて、`の上に「F冠群芳」をいて、傍らに「情けない人は彼女をたら、心がeれる[10]」という小さい字がいてある。宝Oを牡丹に譬えた。
探春は杏の花という`を引いて、`の上に「|池仙品」をいて、傍らに「太に近い赤い杏はの[11]」という小さい字をかいてある。探春を杏の花に譬えた。
麝月は^巾N薇という`を引いて、`の上に「tA盛O」をいて、傍らに「^巾N薇まだDかないとき、ほかの花は全部零れた。[12]」という小さい字をいてある。彼女を^巾N薇に譬えた。
そのほかに、李纨を老梅に、湘を海棠にたとえた。u人を桃の花にたとえた。それは、たしかに『t楼簟护蜓芯郡工T家の周汝昌は『t楼簸诬啃g魅力』で述べたように、『t楼簟护闲陇筏て独特な『群花V』となされる。
2.2 その原因
なぜ『源氏物Z』も『t楼簟护馀性を花に譬えて、すなわち女性の美しさを花にして表すのか?その原因は以下の二点をい菠椁欷搿
第一は、花と二つの作品から登訾工肱性とのがりである。どんながりを持っているのか?まずは美しいことである。そして、悲・摔胜毪长趣扦る。
花というと、人々に美しさと甘い香りを感じさせる。花は植物界の精Aで、古代から今まで人々の心の中で美の代名~とされる。花は美しい。花も女性も美しいからこそ、彼女らを花に譬えて表Fする。しかし、どんなに美しい花であっても、いつか萎れる。そして、そのいつかはL年後の将来ではなく、まもなくの将来である。それからみると、二つの名著と花の特性とのがりはいったいなんでしょう。
紫式部は『源氏物Z』で主に源氏と女性との矍樯活を描写したのにえるが、それはg的に矍樯活を描くことではなく、源氏の恋邸⒒橐訾蛲à筏埔环蚨嗥蓼趣いχ贫趣酥配された女性たちの惨めな\命を明らかに示したためである。日本のs史からると、平安r代のF族社会では、男女の婚姻はよく政治上の利益にがって、政治L争の一つの手段にされたことがよくわかる。紫の上は理想の矍椁蚴证巳毪欷胜い强啶筏螭强啶筏螭撬坤螭扦筏蓼盲郡长取⒖詹酩献苑证呜を守るために、Tに入ってgんだことなど、いろいろある。紫の上など、どれも花でもuしいほど美しい容貌をしていたが、死ぬまでも不合理の婚姻制度に苦しめて、惨めなY末にった。だから、『源氏物Z』は女性の悲・妊预à瑜Α
こういう点では、『t楼簟护猡饯Δい共通点を持っている。十八世oの封建社会の末期、韦辘畏饨礼教と女性に求められた封建的な基实渊DD三兢人预R迫下、な心と矍椤⒒àuずかしいほど美貌をもっている少女たちが惨めな\命から逃されない。花と名著から出た女性たちは、同に美しくて、最後に悲・摔胜盲皮筏蓼盲俊W鲜讲郡炔苎┣郅悉饯ΔいΦ悚蛞て、女性を花に譬えた。花のように美しい女性たちは花のように萎れて悲・摔胜盲皮筏蓼盲窟\命から逃されないことを表Fしたがると思う。
第二、中日文化唤yの共通点はもう一つの原因である。中国では、花文化は古代から今までAいてくる。花にvしてのdは、中国の商のr代の甲骨文にFれた。楣r代、孔子は「mは花王にあたり」と言った。隋唐宋r代、中国の花文化は非常に盛んになって、花にvする文学作品もいっぱいであった今になって、多くの中国人が花を育てることも、花で部屋をることも、中国の花文化はもっと盛んになって、もう生活の各方面に染みzんだ^である。
それでは、日本のほうへよう。「日本文化の形Bは植物の美学に支えられてきた。日本人にとって言えば、自然は神である。生活には自然という神がなくては、生活にならない。さらに言えば、日本のs史もないという。」ある日本学者はそう述べた。もちろん、木は古代ではもっとも体表的な物象で、古代の日本人の自然Qの基Aにされた。しかし、木と花は切ても切れないvSをもっている。相当の植物にとっては、その植物は木だけではなく、花である。そして、花は元来大自然の中で不可欠の部分である。日本人にとって、花茶は「日本唤y美の三重奏」といわれる。平安r代までLいg日本人の心に根差した日本人の原始的な自然Qそこから生まれた美Qかられば、花も日本人にとって一つの唤y美であると言えよう。
要するに、花は中国人にとっても、日本人にとっても、ひとつの唤y美である。それは、中日唤y文化が花にしての共通点である。
3 二名著における美人を花に譬える例の相`点とその原因
3.1 相`点
第二章に述べたように、『源氏物Z』と『t楼簟护照してれば、二つの名著とも花にして女性形象を描写した。それは共通点である。しかし、人は共通点を探し出すだけに鹤悚工伽ではなく、共通点のYにLしていた相`点をkFすべきである。なぜかというと、相`点を通してこそ、中日gの文学と文化の`いをkFできる。
その一、『源氏物Z』は女性を花に譬えた龊稀ある花をつけて、後で登訾工肱性をその花に譬えた。あるいは、その女性の姿によってそれと相辘工牖à蜻xんでその花に譬えて、女性の名も花の名で命名したまでである。すなわち、作者は女性を花に譬えた目摔吓性の姿を{しようである。それにたいして、『t楼簟护悉窑趣膜闻性に辘工牖à蜻xkするr、重点は女性の姿に置いたのではなく、女性の性格、葙|、\命に置いた。言いQえれば、{する象は`っている。
それでは、そのF象の例をてみよう。紫の上は登訾工r、源氏は下痢にかかって、北山の某という寺へいこうとして、これは三月の三十日だったので、京の@はもう散っていたが、途中の花はまだ盛りのに荬扭い俊¥饯筏啤⑨幛堑訾工胱悉紊悉@に譬えた。
源氏は「Dく花に移るてふ名はつつめども折らで^ぎうき今朝の朝。どうすればいい」を言ったr、六条のF女を名花に、中将を朝に譬えた。
『t楼簟护恰⒉苎┣郅削煊瘠蜍饺丐似─à俊\饺丐瞎糯から中国の人々にほかの花と比べると比べられない美をもっている。それは上のイメ`ジである。品|上では、身を清く保ち、に染まらないということである。また、中国人は美人を形容するr、よく「出水芙蓉」という言~をよく使う。要するに、芙蓉は中国人の人々の心の中でもっともいいu判のある花だといえよう。黛玉は芙蓉のような身を清く保ち、に染まらないという品|を持っている。
そして、黛玉の性格は人に与えた印象も芙蓉とは同じであることといえよう。それに、名利と地位に屈服しない点では、宝玉と黛玉は一致している。彼らはお互いに相手をその世で唯一の知己として大切にしている。だから、宝玉と黛玉の矍楸・悉丹椁苏i者の同情と残念の莩证沥虿─筏俊
以上の分析によって、『t楼簟护潜嗓沃氐悚先宋铯涡愿瘠葙|に置くのは明らかであろう。
その二、『源氏物Z』という名著で一つの女性に辘工牖à衔ㄒ护扦悉胜、よく登鋈宋铯蔚rの感情を述べるために、辘工牖à浃à搿¥饯欷して、『t楼簟护先宋铯味捞丐萘てを表Fし、Y末を暗示するために、一つの女性は唯一の花に辘贰⒆苑偈证辘工牖à浃à胜ぁ@えば、第二回「帚木」で^中将は自分のせいで夕にxれられてから、彼女にするかしい莩证蚴訾伽毪郡幛恕⑾を常夏に譬えた。しかし、夕は源氏と出会ってから、夕に譬えた。
『源氏物Z』にして、『t楼簟护龊悉悉饯Δ扦悉胜ぁ!杭t楼簟护潜Oを牡丹に、探春を杏の花に譬えた。李纨を老梅に、湘を海棠に譬えた。麝月を^巾N薇に、黛玉を芙蓉に譬えた。それは周汝昌は『t楼簸诬啃g魅力』で述べたように、「『t楼簟护扦稀それぞれの女性を各自の萘て、L姿、性格、Y末とm辘工牖à似─à俊埂1Oはだれも比べられない美貌をもって、度胸があり、いつでも道理が通じる。それは牡丹が中国人に与える印象とよくにている。「黛玉は美しくて、とてもgで、素直で、何が言いようならすぐ言う。そして、彼女は宝玉と同じように、荬饲服しなくて、荬庾芳挨筏胜ぁ¥饯欷稀⒈伺のいった社会背景下では、かなり珍しい。これは、周敦颐の芙蓉を{美する句「出淤泥而不染」と同じで、彼女を芙蓉に譬えた。また、『t楼簟护扦稀⒁护膜闻性は唯一の花に辘贰⒆苑偈证辘工牖à浃à胜ぁ
3.2 その原因
相`点のある一つの原因は日本の持つH植物性である。それはなぜ「女性を花に譬え」というF象で『源氏物Z』は女性の姿を{しているという}を答えられる。R作の栽培は、また日本人の植物にする特eな感情を育てた。それは日本人のH植物性である。
日本人は植物にしてほかの国の人より特eな感情を持っている。H植物性があって、どんなに狭い庭であっても菊、@や松などの植物を栽培し、植物に出会うとかわいいなあ、きれいだなと思い、好きな莩证沥弦证àれないほどである。だから、日本人は文学作品でも、登鋈宋铯自分の好きな女性と出会ったら、「その女性はなんとお美しい、姿も美しくて、なんか花のように美しい」と思うA向がある。
『源氏物Z』で源氏がもっとも好きな女性、紫の上で^明しよう。紫式部は『源氏物Z』で紫の上を二回@に譬えた。まずは、紫の上の出訾扦る。源氏は北山の某という寺へいこうとした。これは三月の三十日だったので、京の@はもう散っていたが、途中の花はまだ盛りのに荬扭い俊¥饯筏啤㈤gもなく彼はまだ若い紫の上をて、自分の女にしようと思った。ここで、彼は紫の上を山@に譬えて、彼女にしての好きになった莩证沥虮恧筏俊
もう一つの原因は日本文学の主情性である。主情性はなぜ『源氏物Z』という名著で一つの女性に辘工牖à衔ㄒ护扦悉胜、辘工牖à浃à毪趣い}を答えられる。日本人は自分の感情を第一にしているので、どんな龊悉扦庾苑证莩证沥蚴訾伽毪郡幛恕⑽锾澶擞して具体的に表Fする。
すなわち、日本人は志より、自分の感情あるいは莩证颏猡盲却笄肖摔筏皮い搿¥坤ら、『源氏物Z』で源氏であっても、夕Fであっても、よく自分の目の前の花を折って、手と伴って女性の方へ送り、よく後で出会う女性を当r自分がた花に譬えてその女性の美しさを感心する。
日本文学のH植物性と主情性によって、比嗓沃氐悚蚺性の姿に置いて、譬とする象もよく浃à搿¥筏し、『t楼簟护龊悉潜嗓沃氐悚蛲庥Q上に置くではなく、品|上に置いたと思う。それは中国と日本が花文化にしての`いによって、そのY果がある。我が国の花文化の精は中国Zで言えば「花韵」である。花韵というのは、ある花のL采、品格と特性である。それは外Qのものではなく、内在のものである。
中国人は花の姿より、花の「花韵」をもっと大切にしていることが明らかである。ですから、女性を花に譬える龊稀⒅氐悚蚺性の姿に置くではなく、彼女らのL采、品格と葙|に置いた。したがって、『t楼簟护恰ひとつの女性に辘工牖à衔ㄒ护恰そして、花と女性との性格や葙|上の共通点を通して、比嗓蛳栅NAされた。
要するに、その`いのある原因は日本人のH植物と文学上の主情性と中日花文化の`いである。
篇2:日语毕业论文
おわりに
中国の文学作品であろうと、日本の文学作品であろうと、「美人を名花に譬え」というF象はよくみられる。_かに、花と女性は`う分野での美の化身で、「美」は花と女性の共通点である。
文は『源氏物Z』と『t楼簟护摔ける「女性を花に譬え」というF象について研究した。第二部分が二つの作品のあらすじとuと地位をB介した。第三部分は二つの作品の女性を花に譬える例をどんどん探してい菠啤なぜ二つの作品も女性を花に譬える理由は中日文化は花にする共通点と花と二つの作品から登訾工肱性とのがりである。もっとも大切なのは第四部分で、例の比を通して、`いを探して述べた。それは、次のものである。女性を花に譬える龊稀『源氏物Z』は一つの女性に辘工牖à衔ㄒ护扦悉胜、よく登鋈宋铯蔚rの感情を述べるために、辘工牖à浃à搿¥饯欷して、『t楼簟护先宋铯味捞丐萘てを表Fし、Y末を暗示するために、一つの女性は唯一の花に辘贰⒆苑偈证辘工牖à浃à胜ぁ¥饯筏啤『t楼簟护吓性の性格と葙|を重しているが、『源氏物Z』は重点を女性の姿に置いた。最後に、要するに、その`いのある原因は日本人のH植物性と文学上の主情性と中日花文化の`いであることをじた。
本は一つの方面から中日文学の同をじる。しかし、もっとよく中日の比^文学を理解したいなら、もっと多くの作品とほかの方面から探さなければならない。それゆえ、これを今後のn}に残してにしたい。
参考文献
[1] 青木登.源氏物Zの花〔M〕.|京都:けやき出版..
[2] 伊藤漱平.『t楼簟护いける象栅趣筏皮诬饺丐壬とD林黛玉、晴ブンKびに香菱の龊稀J〕.|京都:平凡社..P46
[3] 大森和夫.日本〔M〕.外语教学与研究出版社.
[4]小田切M O修.ポケット日本名作事典〔M〕.|京都:平凡社.1981
[5] 芳R矢一著.国民性十〔J〕.|京都:平凡社. .P24
[6] 森中美.『t楼簟护沃肖魏L-簸问澜绀爽FgをつめてDいた花-〔J〕村雄博士古稀念中国学集白帝社.. P125
[7] 芝木好子.日本の唤y美をLねて〔M〕.|京都:河出房新社.1985
[8] 紫式部著.源氏物Z〔M〕新潮社出版社.1967
[9] 佐佐木瑞枝.日本世情〔M〕.外语教学与研究出版社.2005
[10] 邸瑞平.王士超.宋德胤.潘宝明 .『t楼舸笥Q』〔M〕.内蒙古人民出社,
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[12] 紫式部著.与x野晶子U源氏物Z〔M〕.青空文斓谖寤.
[13] 何小颜.花与中国文化〔M〕.北京:人民出版社,1999
[14] 叶渭渠.日本文学史〔M〕.北京:昆仑出版社,2004
[15] 周汝昌著.t楼の芸g魅力〔M〕.北京:作家出版社,2006
[16] 周思源.论红楼梦的艺术魅力〔M〕.北京:中国社会科学出版社,
[17] 周作人.谈日本文化〔M〕.北京:人民文学出版社,1980
x辞
二○一一年十月、研究テ`マ『中日「美人を名花に譬える」F象における一考察DD『源氏物Z』と『t楼簟护蛑行膜恕护Qめてから、これをめぐって、き始めました。文をくうちに、指Ы坦伽颏悉袱帷⒏飨壬のご支持とご援助を受けさせていただきました。ここで心から先生方に感xいたします。クラスメ`トの皆も拙のくに、f力をくれました。クラスメ`トの皆にも心から感xします。先生方の、友_の助けがなければ、拙はうまくけなかったのです。
拙をくとき、参考した先行研究の作者に感xいたします。彼らの研究成果がありますから、初めて拙があるのです。答弁委T会の皆にご意いただきましたことを感xいたします。
最新日语毕业论文范文二:
アニメへの信仰心をYびつける若者の新しい宗教Q
要旨
本文ではアニメ作品の外部に存在する宗教的要素についてみていく。作品の外部に存在する宗教的要素とは、その作品の内容自体には宗教的要素がそれほど登訾筏皮い胜い摔猡かわらず、外的要因によってその作品とYびつけられている宗教的要素を指す。ファンたちがアニメ作品の}地巡礼として行っている神社参がその例である。本文ではテレビや新などのメディアでも多く取り上げられた「らきすた」と「楣BASARA」の事例を示す。それらから、アニメの外部にFれている宗教的要素とその役割、そしてアニメと若者の宗教的行椁伍vS性について考察する。
キ`ワ`ド:アニメ 宗教Q 若者
1. はじめに
F代の日本をてみると、Lいs史を持った日本古来の宗教やそれにvBした行事は、日本人の日常生活の一部となる中でその宗教性をJRされなくなってきている。その一方でクリスマスといった外来の宗教行事が、一Nのイベントとして日本人の生活の中に深く浸透している。それはつまり、今の日本は々な宗教が身近に存在し、それらが日本人の生活に定着している一方で、宗教が宗教としてJRされていない状Bなのである。また、F代の日本人は一般的にo宗教的だと、主Q的にも客Q的にもJRされている。このようにF代の日本は、宗教のがeれているr代である。このような状rの中、宗教はF代の日本文化にどのような影を与えているだろうか。そして宗教とF代の日本文化はどのようなvS性を持っているだろうか。この文ではF代日本を代表する文化の一つであるアニメと、日本に存在する宗教の中でも古来より信仰されている神道を主に取り上げる。アニメにおいて宗教的要素がどのようにFれ、どのような役割を果たしているかをていき、アニメと宗教のvS性を考察する。文の造としては、本文では、「らきすた」と「楣BASARA」を例にい病⑼獾囊因によってアニメとYび付けられる宗教的要素について考察する。
2. 先行研究
インタ`ネットでいろいろと{べたが、国内では大分日本のアニメbIとかアニメの表Fとかの研究である。アニメと宗教のvSについての研究はそんなに多くないである。私の文は
それらに比べ物にならないだが、本文はアニメにおける宗教的要素はそれにする信仰心を者に想起させる役割を果たし、一方でアニメは新しい宗教的Qをも生み出している。このようにアニメと宗教は相互に影を与え合うという、非常にいvS性を持っていることに视している。
3. 「らきすた」と「楣BASARA」の事例
3.1 「らきすた」の事例
「らきすた」は、美水かがみによる同名コミックを原作として、年に独立UHF 局で放送されたアニメ作品である。女子高生の日常をコメディタッチに描いたアニメであり、作品自体には宗教的要素はほとんど登訾筏胜ぁV饕登鋈宋铯扦る挨がみ、つかさ妹のg家がm神社という神社であり、彼女たちが巫女として神社でPくシ`ンが作中に登訾工毪挨椁い扦る。しかしアニメjIなどでm神社のモデルとして斡癖hm町のm神社がB介されたことにより、ファンがアニメに登訾筏鏊としてm神社をLれるようになった。m神社はv|最古の大社と言われるなど、非常にLいs史を持った神社である。そんなm神社で、アニメファンたちが「らきすた」の登鋈宋铯违ぅ楗攻趣蚪}Rにきのこし、登鋈宋铯违偿攻抓欷颏筏撇を行う姿などがテレビなどで大きく取りあげられた。そしてm町の商工会が独自のアニメグッツ制作やイベントの\婴胜伞⒌赜蛘衽d策に取りMんだY果、m神社をLれるファンの数はえAけた。それは初の参客数が 年にはその年の斡癖h内第3 位となるs30 万人、年には第2 位となるs42 万人、年には^去最高の45 万人に_したほどである。
3.2 「楣BASARA」の事例
「楣BASARA」は、同名のアクションゲ`ムを原作として2009 年にTBS 系列で放送されたアニメ作品である。楣r代を舞台に、O定や外を大胆にアレンジされた、g在する楣武将たちの荒唐o稽な椁い蛎瑜い孔髌筏扦り、「らきすた」と同に宗教的要素をQっているわけではない。しかしながら、ゲ`ムやアニメのヒットによって女性ファンのgで楣武将ブ`ムが起こり、主人公の一人である伊_正宗ゆかりの地である、仙台城Eにあるm城ho国神社に多くの女性ファンがLれた。m城ho国神社は、明治37 年に招魂社としてtされた神社で、F在はm城h出身の槊徽撙蛑行膜硕啶の英が祭られている。以前は中高年婴尾客が多かったが、F在では若い女性の参客がえ、アニメやゲ`ムに出てくる楣武将のイラストを}Rに残していく姿がよくみられるという。
4. 若者の宗教性と}地巡礼における神社参とのvS性
4.1 若者の宗教性の特
F代において、日本人の宗教にするd味、v心は希薄である。それは朝日新のの{摔恰缸诮踏伺d味がない」と答えた人が77%に上ったというY果や、さまざまな{摔恰柑囟à涡叛訾虺证摹工却黏à敫詈悉しだいにp少し、F在では3 割を切っているというF状から分かる。しかしながら日本では、一年を通して初や七五三またクリスマスなどの々な宗教的行事を多く行われ、朝日新の{摔摔瑜毪热国平均でs半数の家庭にや神棚があるなど、日常生活に宗教が根付いているのも事gである。このような状rから考えると、日本人はo意Rのうちに々な宗教を受け入れ、宗教にする信仰心がありながらも、eO的に特定の宗教を信仰することや、自的に宗教に接するC会が少ないという意味で宗教性が薄いと言える。
そのなかでアニメファンの中心である10 代から30 代の若者の宗教性はどのようなものであろうか。若者にvしては々な{摔恰「信仰がある」とする割合が他の年代に比べて低い、「宗教を大切にする」とするよりも「宗教を大切にしない」とする割合の方が多い、「神どちらかを信じている」とする割合もp少しAけているなどのY果が出ている。これらの{私Y果から、若者は唤y的な宗教や既存の宗教にするd味やv心が低いことが分かる。また他の年代に比べて墓参りや初以外はあまり行っていないという{私Y果から、若者には宗教的行椁蛐肖C会も少ないと言える。このように若者は他の年代に比べてさらに宗教性が薄いのである。
しかしながら初にvしては特盏膜恰⑺の年代よりもg施する割合が高く、しかもg施する割合は年々加している。したがって若者は宗教的行椁沃肖扦獬踉にしてはv心が高いと言える。ただし、そうは言っても若者と神社のつながりが特eいというわけでない。初以外で神社に参するC会が少なく、自分の住んでいる地域の神社とvS性をもたない割合が四割を超えるなど神社自体にvするv心は低いのである。これは初が日本人の年中行事として定着するなかで、宗教行事としてみなされることが少なくなり、若者にとって一Nのイベントとなっていると考えることができる。
4.2 若者の宗教性の特栅嚷}地巡礼における神社参とのvS性
若者の宗教性の特栅仙嫌のとおり、「既存の宗教全般にするv心は薄いが、初にvしては行う割合が高い」というものであった。ではこのような若者の宗教性とアニメ作品の}地巡礼における神社参はどのようなvS性があるだろうか。神社にする参というものは元々、伊萆mで祀られている天照大神、出大社で祀られている大国主の命みこと、全国に存在するR荷神社や八幡神社におけるR荷信仰、八幡信仰など、各社の祭神への信仰心によるものであった。初も住んでいる地域の氏神神社やその年の{方、すなわちF起が良いとされる方向の神社へ参するものであり、神が居住まいを正して来Rしてくる「ハレ」のrである正月において、神を清筏市纳恧怯える行事であった。これらは日本人に代々根付いてきた素朴な信仰心によるものと言えよう。
しかしながらアニメファンの}地巡礼における神社参は、そのような纠搐巫诮痰Qや信仰心のもとで行われているものではない。外面的には日本の唤yにのっとった宗教的行椁扦悉るのだが、神社への参を行うアニメファンの原恿Δ趣胜盲皮い毪韦膝ニメ作品にするd味やv心という、日本人に根付いてきた信仰心とは全くeのものであるである。そして、}地巡礼という言~がもともと宗教的な用Zであることを考えると、アニメ作品の}地巡礼の原恿Δ趣胜毪长闻d味やv心というのは、そのアニメ作品にする信仰心と言いかえることができるであろう。つまりアニメ作品という、虚であり、これまでなかった存在にする新しい形の信仰心が、神社への参という唤y的な宗教的行椁私Yびついているのである。
アニメファンの中心である若者は既存の宗教にするv心は薄いかもしれない。しかしながら、アニメにする信仰心がgHの宗教的行椁g践に影を与える、つまりまったくeのものを既存の宗教とYび付けるという、新しい宗教Qが彼らから自然と生み出されている。このようにアニメの}地巡礼における神社参というものは、新しい宗教的Qを提示しつつ、日本古来の宗教にしても目を向けさせるという二面性を持った行椁扦る。そしてアニメ作品において、表面的には宗教的要素がFれていなくても、後k的に宗教的要素を持つという可能性も提示している。
5. おわりに
本文では、作品自体には宗教的要素を含んでいないにもかかわらず、ファンの}地巡礼という外的要因によって既存の宗教とYび付けられているアニメ作品として、「らきすた」と「楣BASARA」を取り上げた。これらの作品は、既存の宗教とアニメへの信仰心をYびつける若者の新しい宗教Qと、神社への参という唤y的な宗教行事へのd味やv心を同rに生み出している。これらは先行研究となり、アニメが宗教にして影を及ぼしている例であり、アニメと宗教の新しいvS性を示すものであった。このようにアニメには、自然崇や神道など々な宗教的要素が登訾贰その使われ方も制作者のメッセ`ジの一部としてや、作品の世界Qなどを特栅扭堡毪郡幛胜啥喾N多であった。そしてアニメは宗教に影を受けているだけでなく、逆にF代の宗教的Qに影を与えてさえいる。この文を通じて、一Yびつきが薄そうなアニメと宗教が密接にYびついていることが分かった。そして本でてきたように、アニメにおける宗教的要素はそれにする信仰心を者に想起させる役割を果たし、一方でアニメは新しい宗教的Qをも生み出している。このようにアニメと宗教は相互に影を与え合うという、非常にいvS性を持っているのである。
参考文献:
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石井研士『デ`タブック F代日本人の宗教 a改版』、新曜社、2007 年
井上考『神道入T 日本人にとって神とは何か』、平凡社、2006 年
NHK 放送文化研究所『F代日本人の意R造 第6 版』、日本放送出版f会、2004 年
『山日日新』、2004 年9 月25 日「跄谯啶晤今度はアニメの舞台に蒌の作家ら尾道でロケハンを」
ス`ザンJネイピア『F代日本のアニメ』、中央公新社、2002 年
叭jp、2010 年1 月5 日「らき☆すた:“}地”m神社の初で客数45万人^去最高、アニメ放送前の5倍に」
篇3:日语毕业论文
日语毕业论文
『平家物語』における無常観について
摘要
《平家物语》成文于日本镰仓时代,描写了平氏一家由荣华走向没落的历史。书中以保元﹑平治之乱中获胜的平家和战败的'源家之间的对比,以及源平两家争战后对平家的追讨过程为中心,生动地再现了当时处在社会变革中逐渐没落的平安贵族与开始登上历史舞台的武士阶级的社会状况。本研究,基于多次通读这部优秀的战记物语,在深刻理解作品描绘的日本中世宗教状况以及人们的宗教理念的基础上,对 “无常”的观念如何贯穿作品始终,为何能够在人们心中打下深深的烙印等诸多问题进行了探讨。
关键词:平家物语;佛教;神道;无常
要旨
『平家物語』は鎌倉時代に成立した、平家一族の栄華と没落を描いた歴史物語である。保元の乱平治の乱に勝利後の平家と敗れた源家の対照、源平の戦いから平家の滅亡を追ううちに、没落し始めた平安貴族たちと新たに台頭した武士たちの織りなす人間模様を見事にかきだしている。本研究では、この最高の軍記物語と呼ばれる物語に基づき、中に描かれた日本中世における宗教の状況やそれに対する人々の観念を解読したうえ、なぜ「無常」という感じがいつも現れ、また人々の心に生じたのかという問題を辿り、検討してみたいのである。
キーワード:平家物語;仏教;神道;無常
目次第1章 序論
第2章 『平家物語』について
2.1 物語の成立
2.2 物語の粗筋
2.3 物語における仏教思想
第3章 仏教の日本化
3.1 神に恵まれた国
3.2 藩神到来
3.3 奈良時代の仏教
第4章 所謂「無常観」
4.1 無常観の起源
4.2 『平家物語』における無常観
結論
謝辞
参考文献
第1章 序論
紀元3世紀ぐらいには、すでに日本列島と中国大陸の交流があった。大国文化に対する憧れを抱えて、中国への留学生が派遣された。遣隋使、遣唐使など、時代によってさまざまな呼び名があるけれども、彼らの背負った使命や志が変わることはなかった。律法、制度の導入につれ、東南アジアに盛んでいた仏教がますます注目された。仏教の伝入がもっと前のことであったが、最初はただ貴族たちだけの信仰となっていた。最澄、空海などの留学僧のおかげで、仏教が咲き誇る花のようにだんだん日本各地に、上から下まで広がっていく。しかし、たとえ仏教の世と呼ばれる平安時代派も、いよいよその時代を迎えようとした。時は紀元12世紀半ば、平家一族の盛衰史を生き生きと描いた『平家物語』における時代である。
様々な人物を刻んだこの物語が、壮大なる戦争の場面を見せてくれる。『平家物語』のシンボルとして、無常観がよく知られている。本論文はその「無常」の解読を検討しようと思って、三つの部分になっている。第2章において、まずは物語の紹介や粗筋などを見てみた。第3章において、前回に提出した問題に応じ日本化した仏教について説明した。第4章において、「無常観」の源について探究してみて、また『平家物語』における様々な人物の例を分析した。以上の研究を通して、『平家物語』とその中に溢れる無常観に対する認識を、もっと深めることができよう。
第2章 『平家物語』について
2.1 物語の成立
平清盛を中心とする平家一門の興亡を描いた歴史物語で、「平家の物語」として「平家物語」とよばれたが、古くは「治承物語」の名で知られ、3巻ないし6巻ほどの規模であったと推測されている。それがしだいに増補されて、13世紀中ごろに現存の12巻の形に整えられたものと思われる。作者については、多くの書物にさまざまな伝えがあげられているが、兼好法師 の『徒然草』によると、13世紀の初頭の後鳥羽院 のころに、延暦寺の座主慈鎮和尚のもとに扶持されていた学才ある遁世者の信濃前司行長と、東国出身で芸能に堪能な盲人生仏なる者が協力しあってつくったとしている。後鳥羽院のころといえば、平家一門が壇の浦で滅亡した1185年から数十年のちということになるが、そのころにはこの書の原型がほぼ形づくられていたとみることができる。
この『徒然草』の記事は、たとえば山門のことや九郎義経のことを詳しく記している半面、蒲冠者範頼のことは情報に乏しくほとんど触れていないとしているところなど、現存する『平家物語』の内容と符合するところがあり、生仏という盲目の芸能者を介しての語りとの結び付きなど、この書の成り立ちについて示唆するところがすこぶる多い。ことに注目されるのは、仏教界の中心人物である慈円のもとで、公家出身の行長と東国の武士社会とのかかわりの深い生仏が提携して事にあたったとしていることで、そこに他の古典作品とは異なる本書の成り立ちの複雑さと多様さが示されているといってよい。
2.2 物語の粗筋
平安末期の日本が、まさに大きな変革や騒乱に囲まれていた。仏に仕えるため出家したがまだ政を握っている法皇と、父親に逆らうことのできない、優雅に暮らしていた貴族と政権を把握し始める武家、また兵を所有する各地の領主と領地の争いで離散になった庶民たち。さまざまな原因でこのような乱世を築いたのである。『平家物語』は、平忠盛の始めて昇殿を許された天昇元年から、建礼門院お往生の建久二年まで、約六十年にわたる平家の盛衰をその内容としたもので、史実のみによらず、想像のみによらず、史実と想像とを交わして、史書と物語との中間をいったものである 。
この物語の主人公の平清盛は、その時代のおかげで出世した。安芸守からわずか十数年に、保元の乱や平治の乱を抑える手柄でついに太政大臣までにつき、そのため一族も極の栄誉を手に入れた。公卿に担当する者が十六人、殿上人が三十人余り、日本全土六十六国の中で平家の所有する領地が三十か所くらいでもあった。まさに真っ盛りといえるであろう。
一方、特権を代々受け継ぐ貴族制度が崩れつづあり、私有荘園と武装を持つ地方領主が舞台に上がってきた。『平家物語』いおける人物中、最も多いのはさすがにこれらの武人である。出征途中、竹生島に管弦する、呑気な経正が、よく書かれ散るのは風雅のためで、戦乱の間に、能登殿が大いにもてるのは、勇武のためである。この両者を重ねたものは、まさに時代の寵児で、瀬政や忠盛が特に光って見えるのはそのためである 。一方、武家を代表する平家一族がその時代に活躍できるのも、各地の大名が支えてあげるために違いない。しかし、政権を握った平家は自らの階級の利益に逆らい、貴族のような生活を極めた。また京で二三百余りの少年を選って、かぶろのように髪を切り、一旦平家の御事悪しざまに申す者があれば、すぐに家に乱入し、私財雑具を追捕し、その人を六波羅殿へ捕まえ、このように天下を好きに扱うにした。後に源氏に負けたのも、誠に「盛者必衰」という言葉に当たったのであろう。
『平家物語』はこの両大武家の政権争いを巡り、様々な人物像や社会万象を生き生きと刻み、その同時に中国の歴史典故や詩歌などもよく出てくる。儒教の道徳観や仏教の宿命論が全書に貫き、平安時期武士階級の精神状況も見事に描写した。しかし常に我々の目に立ち頭に浮かべることは、やはりあの時代の仏教の実態であろう。太政大臣平清盛にしても下級武士たちにしても、彼らは自分の運命をすべて仏に預けるような気が強く感じられる。一の谷の戦いで敗退し、死ぬ前にも西に向かい「光明遍照十方世界、念仏衆生摂取不捨」と十念する薩摩守忠度や、焔に燃えられるように死去した入道相国。これらの描写は、仏教に対する信仰がいかに強かったのを表す他ならないのである。
2.3 物語における仏教思想
さまざまな変革に迫られていた平安朝の日本は、大陸文化を積極的に吸収する一方、仏教も盛り人々の心に根強く留った。鑑真の東渡、唐招提寺の建設でますます興隆になりつつあった。中世の日本人は仏のことに莫大な関心を持ち、生活の面々にも影響された。平氏の創始者の平忠盛は、鳥羽上皇のため得長寿寺を建てから登殿ができ、一族繁栄の土台を築いたのである。各大寺の座主は必ず親王とか地位の高い公卿とかで担当され、仏教の重要さが言うまでもないことである。
貴族にも関わらず、庶民たちの敬う心も明らかに表わされていた。歌女の妓王は入道殿に捨て去られた後、世間に絶望し、ついに出家した。一時に栄華になった佛でも、「いづれか秋にあわで果っべき」という嘆きさえ出て、出家になったのである。現世が不順ならば、来世を求めた方が良い。妓王たちが出家し極楽を求めた果ては、後に後白河法皇 の長講堂の過去帳にも妓王、、刀自、佛などが尊霊と記録されていた。彼らの宿願が叶えたとしても、かなり憐れむことであろう。このように仏法興隆から二三百年の間に、仏教がだんだん本土化また日本化になり、自ら独特の精神教義が出てきたのである。しかし、時は仏法衰微の時期になった。武士豪族の争いで戦争を招き、天下が不安になり続いた。源氏を潰し都から追い払ってから、平氏はまつり事を独断していた。失意した貴族や武士は相次ぎに出家し、来世の福祉を祈ることが多かった。動揺した態勢が人間を恐慌させ、諸行無常の観念もいつの間に人々の心から生じ蔓延り、仏教はこのように俗世間を離れる最もいい口実となった。
「祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を顕す。驕れるものの久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂には滅びぬ。ひとえに風の前の塵に同じ」。この哀唱をはじめとして、平家十二巻を貫くものは、無常観であり無常の哀感である。いわゆる「無常」、つもり変化の意を表し、世間の物がいつも無限の変化にあったという仏教の基本的認識である。「無常」の生まれは、日本列島独特の自然環境にも深くかかわったと思う。地震、火山、津波、日本民族は昔からこのような災害で生きていた。人間の死去、建物の壊滅、これらの全ては人の精神状況に影響し、存在することがいかに実在的でなく、幻の感覚までも出てきたのでしょう。しかし、広く伝わる仏教こそ、その無常の現れの重要な要素だと思う。なぜ大陸から伝来した仏教が日本国でこんな差異が出たのか。またその異化された仏教に対する認識は、「無常」を形成してきたのでしょか。その両者の間に、きっと何かのかかわりがあるのである。ならば、宗教の面から、その「無常」の起源を辿りしよう。
第3章 仏教の日本化
3.1 神に恵まれた国
長く狭くて、また海に包まれる土地、それが日本列島である。島国として、自然環境がきびしいどころか、時々地震や火山や津波の災害も起こり、結構大変であった。こんな状況で生きてきた日本民族は、言うまでもなく大自然に尊敬かつ怯える感じが生じられなくてはいられなかった。農業生産の豊作や一族の繁栄安全など、これらの不安定な要素をすべて「あるもの」の意志とされば、やがて「神」という言葉が出てきたのである。祖先の崇拝や形のない霊を祭る中で、自然の大いなる力に恵まれているという気持ちも抱えられてきた。『古事記』の編纂により、始めて文の形で日本国と日本人の由来の伝説などを述べ、神の子孫としての誇りが明らかである。
祖先や自然神を尊崇しながら形成したものは、民族宗教であった。それは他の民族の宗教と同じく、最初は単に村全体の繁栄や安全のため祈った行事であった。村人は神社を作り、そこで祭りを行うことにした。古墳時代後期になると、農業生産の進みにより社会の変化が大きかった。家族、氏族などが生まれ、それに対して相応の氏族神も誕生したのである。にもかかわらず、信仰される神が変わっても、その祈りの本質は変わらなかった。こういう時期の民族信仰は、まだ個人的な「福を招き、禍を消す」という念願を実現するために存在していて、教義や理念などは全くなかった。無知な人々は厳しい生存状況で生きられるため、常に神に恵まれるというような感じが生じた方が、心の安らかさができるでしょう。これは最初の「神道」というものである。やがて日本社会の発展に伴い、国家の形で政を処理するには、もっと優れた制度が望ましかった。海の向こう、大陸の中国から国政を学ぶ同時に接触した新たな宗教――仏教も日本の舞台に上げたのである。
3.2 藩神到来
紀元522年百済明王は使節を派遣、日本に仏像を献じた。よって、仏教が朝鮮半島から正式的日本へと伝わってきた。『日本書紀』によると、その献上した仏像を祭るかどうかについて、当時の欽明 の大臣たちは激しい論争に陥った。崇仏派の蘇我氏は「諸外国が尊敬する以上、わが日本国も例外なしに崇めるべし」と述べたけれども、一方排仏派の物部氏は「我が国が天照大御神に守られているながら、また蕃神などを崇拝することは、カミの怒りを招く恐れがある」と強く反発したのである。両大派閥の対立は五十年あまりという、長い時間に続いた。仏教の初登場が激しい反対の声に遭遇したのは、上記の言うとおり本来民族宗教がすでに存在しているほか、当時の政治体制にも深くかかわっていた。朝廷を左右した力は、豪族保守派を代表する物部氏や、新興貴族を代表する蘇我氏であった。前からも帰化人や大陸文化に接触し先進文化に影響された蘇我氏は、仏教を引き入れる機会で、物部氏との闘争に劣勢に処する一族の権力を固めようとした。しかし、伝統権威や民族宗教を支柱とした物部氏は、外来神の仏の伝来に対しては必ず反対の声を響かせるしかなかった。それにもかかわらず、歴史の進むプロセスはいつも止まることがないのである。どんどん政を独断してきた物部氏に、やがて皇室からの不満が出てきた。聖徳太子と手を組んだ蘇我氏は物部氏を潰してから、新たな宗教――仏教がようやく日本全土に伝わることができた。
3.3 奈良時代の仏教
すでに天下へと仏教が広げられ、ならば万民に信仰させ、国の安泰のため仏法を発展向上させるべきである。しかし、事実はそうではなった。国家を守護し制を固められると宣伝された仏教が、最初からも政治宗教となった。朝廷に守られ、お寺などがよく町の周辺で建てられる故「都会仏教」とも呼ばれた。興隆期となった奈良時代の日本仏教は、インドと中国での伝統仏教と違い、基本的な戒律さえも離れ、僧侶は民間へ伝教するようなことをせず、単なる貴族たちに仕えるだけである。ついに国の政に手を出すこともあり、朝廷を左右する勢力となってきた。こういう時期の仏教は新たな事物として政権争いに利用され、これも後に仏教の日本化の兆候となったわけである。しかし、寵愛を一身にしても、所詮外来宗教や政治道具である。律令国家の確立に伴い、の力がますます高き、蘇我氏一族を始末してからやがて君臨するようになった。伝統権威を代表する神道も言うまでもなく新たな高位に置かれた。大化の革新に制定した「大宝律令」によると、神の祭りなどを主管する官吏はから直々の任命、太政大臣同級の者であるが、仏教諸事を処理する機構はただただ治部省所轄の玄蕃寮であった。神高仏低の状態における仏教がよい発展と権力の拡大を求めるには、やむを得ず神道にしたがうことにした。その表現の一つが神社で経文の朗読を許し、いわゆる「神前念仏」である。
初期仏教がつよい政治性を持っているのを除き、民間へ広がることのできないもう一つの原因は、人々固有の観念そのものである。宗教というと、それが現世のことを第一に、生活の安定さや幸せさを祈るはずだと思われた。ですから仏教の来世主義、死後の世界に憧れる考えが一時に納得されるわけはなかった。一方、元来ただ神社に参ることで宿願をかなえることが可能であるが、もし仏を信じるならば、山ほどの戒律や決まりを守らなければならないという恐れもあり、あまりにも実用ではなかった。これはさまざま不確定な要素に囲まれ、尊崇や冷遇の立場にあった前途不明の奈良時代仏教である。
第4章 所謂「無常観」
4.1 無常観の起源
「神」と「仏」の関係転換がただ二三百年かかったといっても、その過程はかなり複雑とは言えよう。いつも原始神道の感化で生きてきた庶民たちにとって、きゅうに別の「神」に信じさせるのは考えられないと思う。固有的な考えを破りにくいので、こういう時に観念転化は必要とする。『平家物語』を読むと、「熊野権現」、「八幡菩薩」などの言葉がよく見られる。特に比叡山の「山王権現」がなかなか権威をおち、山門衆はいつも神與振 の形で朝廷の命令に逆らうことがあり、朝廷を従わせる。日本の諸神に菩薩号を与え、菩薩の神力をつける新たな有力神を作ったわけである。これが本地垂迹である。「本地」即ち物の源や本来面目、ここは仏の本体を表す。「垂迹」は極楽の仏が万民を救うためあるものを借り日本で現れることを指す。そしてその借りものが日本の元来に存在している「神」である。日本の神々は、本々仏の恩恵を人たちに賜るため、現れる仏の「分身」である。
本地垂迹の形で、仏教と神道の衝突を最大限度に下げることができた。人々の固有の信仰を潰せずに仏教の信仰へと導き、両者に対する信仰を折衷し一つの信仰体系として再構成することである。乱世に生み出した「無常」、仏教から出てきた往生思想、これらを交わして生まれるものは、「無常観」だと思う。
4.2 『平家物語』における無常観
前にも「無常」の意味を解釈したが、それはかなり簡単で、なかなか理解できないであろう。実は、論理的なことをほうっておいて無常観つまり、何時も変化している現世に対して厭きを感じると言えよう。この厭きを積んだうえ、不満や辛さも出てくる。一旦そうなると、来世や未知の極楽世界に憧れることもやむを得ずに生じる。ここの「無常」は単なる乱世に対する動揺不安に気になり、世の中のことに信念を失ったばかりではない。中国でもどの国でも、昔には必ずある揺れる時期があるに違いない。その時の人間は、あくまで厭世という感情が出てくるだけである。しかし日本中世における「無常」は、それなりの特質があると思う。その表現の具体化は出家、隠遁ということである。前回の述べたように、奈良時代から神道の陰に置かれた仏教であるが、教理と精神実質のある宗教として決してそのままではいられなかった。神道が仏教の戒律などをかり、自らを充実していこうとして、神の御前の念仏を許したわけである。しかし、実は仏教こそこの絶好の機会で宣伝されることができた。神仏が同所で、神即ち仏、仏つまり神というような錯覚は民衆の心に留まり、個人の利益を求めるために祈るなら、どんな神像に頼んでもよいではないかと思われた。
この溶け合う中で、一番影響されたのが人々の考え、特に死生観そのものである。これらの代表的な例として、『平家物語』に登場した熊谷次郎直実をあげることができよう。無骨の武士である直実は、功名心から敵の頭を切り、武勲をあげることに全精力を傾け罪悪感とは無縁なや武士的な人生を送っていた。しかし、「敦盛最後」にあるように、一の谷で、直実は彼の子供の小次郎と同年と思われる敦盛の首を、泣く泣くに切ってしまう羽目になる。その後、直実の人生に影を落としたものは、殺生を犯した者の罪業観と罪障観であった。それが彼の出家した原因とも考えられている。また、『平家物語』巻十の「戒文」を参考し、平重衡と法然 上人の交渉から、重衡の来世の死生観についてみてみよう。三位中将重衡は南都焼討で悪名高いが、治承四年十二月に平家軍は南都の敵を攻撃している最中に、図らずに東大寺や興福寺などの諸事を焼いてしまった。その後、重衡は墨俣川の戦いや水島の戦いで勝ったが、一の谷の戦いで捕まえられ、鎌倉へ護送されてしまう。彼は鎌倉へ護送の前には、法然を招いて出家しようと思った。南都の諸寺を焼き払ってしまった重衡は、罪の意識を感じ、往生への道が完全に閉ざされてしまったことを自覚した。しかしながら、どうしてもその罪障観から救済されたく、善知識である法然上人に少しの望みを託したわけである。意外なのは、ただの「一声称念罪皆除」と念すれば、何の罪でも消えていくと重衡に明快に答え、浄土宗の基本理念を表したのである。『平家物語』では、この世を無意味だとする精神が、往々にしてこの世を離れがたいものとする精神に圧倒されているのを次々の叙述の中に見ることができると思う。小松殿の息子維盛が何とかして山伝いに京都へ上がって恋しい妻子にもう一度会いたいが、生捕りになった重衡のような目には会いたくない、いっそここで出家して、火の中へでも水の底へでも入りたいと思う、という意味のことを言うと、それに対して高野聖滝口入道が「夢幻の世の中は、とてもかくても候ひなん。長き世の闇こそ心受かるべう候へ。」と、言い聞かせるところがある。そこでは、この世を「夢幻の世の中」などと言って無意味なものとする精神が、優位を占めている。維盛の妻子にもう一度会いたいという気持ちは、それを持って現世的なものへのいたずらな執着だとする仏教思想によって、抑えられている。そのあたりは一応「断ち切る」物語の様相を見せている。
これですこし分かるようになるであろう。中世、平安時代になると、仏教がようやく「神高仏低」の状態から出て、逆に「神低仏高」のように転換された。宗教の重心が変え、それに導き日本にも適切な理論が望ましかった。一番代表的なのが法然の輝いた浄土宗である。「称名」念仏という専修念仏を説いて、仏教の広がりに極大の役割を果たした。往生することがいかに簡単なことなので、信ずる者も多くなり、尊君思想をいつも心の中に置き死を恐れることのない武士たちさえも出家などを行い、来世を求める。往生を念じれば現世に対する不信がもっと深く、極楽を望めば無常についての信念がさらに強く。わずか二三百年で、まるで人々の考えが全く違い、仏教の思想が完全に人たちの頭に染み込んでいたというような気がする。しかし、神道の働きをなくしては考えられなく、むしろ神道の土台があるこそ、こんなに速やかな達成ができたのである。
結論
『平家物語』は庶民、貴族、武士、さまざまな人物像を生かし、彼らの運命の起伏を描写して、その中に貫く「無常観」を訴えるのである。神仏の融合は日本中世における特別の現象で、自分の国の未熟な宗教文化を守り、さらに良い発展を遂げようとする考えで、仏教を利用したのである。神仏習合の産物として、無常の思想が結構長い間に日本人の考えを抑えた。小論はこのような検討を通じ、「無常観」というのが、単なる現世に不満や失望を混じる無常ではなくて、それがまた日本化した仏教の思想を吸収してから、往生の考えを加える来世に憧れる宿命論だということが分かった。このような宗教理念は、日本の中世に深く影響を与え、日蓮宗や真言宗などの派閥も形成してきた。素晴らしいことに、日本民族はこのようにいつも積極的にすぐれたことを取り込み利用したおかげで、どんどんよい国家になってきたのではなかろうか。
謝辞
四ヶ月を経て、多くの方々のご指導及びご協力のお陰で、順調に本論文を書き上げることができました。心より感謝の意を述べさせていただきたいと思います。
まず、この四年間にいろいろとお世話になって、日本語学部の先生方々に厚く御礼を申し上げます。
そして、本論文を書いている間に、テーマの選定から論文の構造まで、指導教官である李冬松先生に大変貴重なご意見をいただき、先生のなみなみならぬご協力があるこそ、論文をうまく完成することができました。ここで感謝いたします。
また、小論を審査し、答弁会にご出席の先生方に厚く感謝の意を申しあげます。
最後に、この場をお借りして、いつも応援してくれた先輩たちや友達にも、感謝いたします。
参考文献
[1]《平家物语图典》上海三联书店20058
[2]周启明、申非译《平家物语》人民文学出版社19846
[3]西乡信纲《日本文学史》人民文学出版社1978
[4]石田一良『日本文学史』神奈川東海大学出版社1994
[5]花山信騰『日本の仏教』三省社19847
[6]松井嘉和『日本文化史』凡人社19955
[7]石田一良『カミと日本文化』ぺりかん社1983
[8]山折哲雄『日本の神々の始原』平凡社1995
[9]川崎庸之『日本仏教の展開』東京大学出版会1982
[10]方海燕《论日本神道教的现世性特征——以中世以前神道和佛教的相互关系为中心》日语学习与研究2007,2:39-43
篇4:日语毕业论文谢辞
春华秋实,转眼两年寒暑。想到马上就要离开,内心诸多不舍。从开始的不适应,到现在的不舍得,是因为你们。
是因为我亲爱的老师们。如果说学生是花朵,那您们就像甘霖、像阳光,给予我们成长所需要的营养。宿老师讲的《春》、讲的《伊豆的舞女》,X老师讲的故事、讲的笑话,X老师帅气的身影,X老师威严中的风趣,X老师的“翻译感觉论”,X老师的“幽默饮茶说”, X老师的温柔,X老师的优雅,还有X老师的严谨,这一切的一切都萦绕在我脑海,挥之不去。是这些美丽的回忆,牵扯着我离去的脚步。最不舍我敬爱的X老师,是严师,更如慈母的X老师。在本次毕业论文的写作过程中,大到选题与文章结构的把握,小到标点符号、文中加注方法的纠正,X老师严谨的科研态度、无私的敬业精神,都令我感动,更指引着我今后努力的方向。在此,我要对X老师致以最诚挚的谢意。
还因为我可爱的同学们。在这里,没有争奇斗艳的孤独,只有百花齐放的绚烂。开心时,我们一起笑,难过时,你们是我最坚实的后盾。两年太短,还不想结束那些故事;两年不短,感谢有你们在身边。
千言万语,最后只能归于一句感谢。
最后,感谢各位老师在百忙之中为我的论文把关,谢谢各位老师!
篇5:日语毕业论文谢辞
首先,非常感谢我的导师--XXX老师。X老师学识渊博、风趣幽默,在读研究生的两年期间,在课堂上诲人不倦,在课下对学生关怀备至。虽然X老师平常教学任务繁重,但是不管多忙,老师都会定期召集我们开小组讨论会,为我们答疑解惑,并时时督促我们要多看书、多思考。在刚进入研究生的学习阶段,X老师就在学习计划的制定方面对我们提出了很多建议,这使当时茫然的还未适应研究生生活的我顿时找到了努力的方向。在论文选题阶段,X老师向我推荐了翻译理论相关的书籍及期刊,希望我能从中找到自己感兴趣的课题,进而敲定论文题目。在撰写开题报告和论文的过程中,X老师都给予了我悉心的指导。在修改论文阶段,X老师更是耐心地纠正内容上的不妥之处以及书写格式上的错误。每一次在和老师对论文进行交流之后,都会让我感到受益良多。X老师严谨的治学态度以及认真负责的工作态度也为我树立了榜样。
其次,还要感谢XX大学外国语学院对我的栽培。非常感谢日语系的XX老师、XX老师、XX老师、XX老师、XX老师、XX老师、XX老师、XX老师、XX老师为我们传业授道,让我能够再一次专业并系统地学习日语翻译方面的知识,同时也更加深入地了解日本文化。从各位老师的课上,我不仅学到了很多专业知识及学习的'方法,同时也使我深刻地认识到了自身的不足之处,这为我以后的学习和工作指明了努力的方向。
再次,我要感谢我的父母。正是因为有了他们的支持和鼓励,我才能够顺利地完成学业。
最后,十分感谢各位评审老师能够在百忙之中审阅此论文,谢谢!
篇6:日语毕业论文谢辞
随着毕业论文的完成,离开XX的日子也越来越近。在这里,各位老师们渊博的专业知识和严谨的治学态度不断激励着我去探索知识的宝库,钻研学术问题的奥秘。在这里,各位老师们更以崇高的人格魅力和严肃认真的工作态度不断鞭策着我去完善自身的不足,追求精益求精的人生。值此毕业之际,我谨向各位恩师致以最崇高的敬意和最诚挚的感谢。
在此还要特别感谢三年来给予我无微不至关怀的恩师XX老师。三年的学习生活中,无论遇到怎样的难题,X老师都会耐心温柔地给予解答和帮助。尤其是在本论文的成文过程中,老师更是为我付出了不少的心血。最初的选题阶段,老师虽然远在国外却依然心系学生,在奔波忙碌了一天之后还要彻夜为我们指导论文的选题以及大纲的拟定。文章的写作过程中,遇到瓶颈期,X老师也一直不辞劳苦帮助我寻找资料和开拓写作思路。在后期的完善和修改过程中,无论是整体框架还是遣词造句、标点格式,老师都会给予大量的宝贵意见。为了能够当面为我讲解修改意见,老师很多次都不惜牺牲自己的休息时间细致地为我指导论文,直到完全成稿。十分庆幸自己能够成为X老师的学生,您的谆谆教导与悉心指导为我的研究生生涯增添了最美的色彩。学生在此献上最由衷的感谢!
同时还要感谢和我一起走过3年时光的同窗好友们,青春时光有你们同行更加美丽,奋斗路上与你们并肩从不孤单。
最后,感谢最亲爱的家人,是你们的支持和鼓励帮助我走过无数难熬的时刻,不断成长为更好的自己。谢谢!
篇7:日语毕业论文提纲
毕业论文,是大学本科教学的最后一个环节。
是对整个大学阶段学习的回顾与总结,是学生综合能力的体现,也是对学生的一次语言及相关科学研究的一次基本训练,因此,要求学生以高度认真负责的态度对待此项工作。
做好毕业论文的指导工作是整个大学教学和教育的重要和必要内容,也是理论教学的重要组成部分。
每一位教师都要以高度的社会责任感和敬业精神投入到此项工作中去,指导学生顺利完成毕业论文任务。
二、毕业论文的选题范围及基本要求
日语专业主要是以为外事、新闻、教育、旅游、经贸以及科研院所提供高素质日语人才为培养目标,因此,毕业论文的选题应与本专业的专业特点和培养目标密切相关。
选题应集中在语言学、语法、日本文学、翻译、教学法、中日文化比较等领域。
毕业论文必须用日语撰写,要有一定的新颖性和学术性,应尽可能多的反映中日两国的政治、经济、教育、历史、文化、宗教等方面的实际问题和热点问题。
三、毕业论文的资料组成
毕业论文包括学校统一印制的毕业论文资料袋、装订完毕的毕业论文原件、毕业论文任务书、毕业论文成绩评定表、毕业论文答辩提问记录及软盘等。
毕业论文封面、论文纸、毕业论文任务书、毕业论文成绩评定汇总表、毕业论文答辩提问记录均为16开打印纸,学校统一模板格式。
毕业论文资料袋按要求认真填写,字体要工整,卷面要整洁,一律用黑或蓝黑墨水。
四、毕业论文的阶段及要求
论文工作主要分以下几个阶段:准备(资料的收集与整理、阅读文献)、撰写提纲、第一稿、第二稿、第三稿、定稿与答辩。
(一)准备:学生可以自由选择研究范围(语言、文学、文化、社会问题、日本文学、经济、贸易、科技、社会生活等),但要在教师的指导下对研究对象进行资料的收集整理和分析来确定毕业论文题目。
(二)撰写提纲: 学生在指导教师的指导下分析和研究所采集的资料的基础上,撰写毕业论文提纲。
同时也要求每一位指导教师在学生形成毕业论文提纲前一定要与每位被指导的学生进行讨论,毕业论文提纲应尽量做到全面缜密,理顺所要论述内容,避免以后反复修改。
(三)第一稿:要求学生必须严格按照指导教师审定后的毕业论文提纲进行写作, 不可自行其是,随意更换主题。
第一稿完成以后,指导教师主要检查学生是否按照既定的提纲和思想在写作,及时发现问题及时纠正。
如学生采取不认真的态度,指导教师应对其提出严肃的批评教育,拒不接受者,指导教师有权提出相应的处理意见,或交学院毕业论文工作小组处理。
如果指导教师不认真指导,随意放学生过关,以后阶段出现的问题由该教师本人负责。
(四)第二稿:要求学生不仅要继续补充第一稿之不足,同时要求在表达上要有所提高。
在接到第二稿以后,指导教师阅读后应指出存在的问题,以便学生及时改正。
(五)第三稿:要求学生在文风、文章格式、修辞等方面有所提高。
指导教师要对第三稿进行全面的审阅,并提出修改意见,以保证定稿打印时所有的错误和疏漏都得到更正,错误率控制在规定范围内。
同时,教师还要提醒学生在打印前再校对,以保证尽可能地将正确的版本打印出来。
(六)毕业论文答辩:毕业论文的答辩是毕业论文工作的最后阶段,要求学生予以充分的准备和重视。
论文答辩前,学生们必须充分熟悉论文,答辩时,要求学生能脱稿进行5~10分钟的毕业论文内容的陈述,并流利、准确地回答答辩委员提出的问题。
在答辩过程中,参加答辩的教师要对答辩人的.语言技能(语音、语法、词汇、语用)、口笔头能力、论文内容和答辩的表现进行认真纪录,客观公正地评分。
五、毕业论文质量标准
(一)选题恰当、与毕业生的知识水平与认识能力相当;
(二)内容丰富、资料翔实、论证充分有力;
(三)观点正确、逻辑性强、无违反国家大政方针的观点;
(四)叙述清楚、层次清晰而丰富;
(五)语言表达正确,无拼写错误、语言错误控制在20-25%00(万分之二十到二十五);
(六)用词、造句、谋篇、布局等方面无明显失误,修辞错误率控制在2%。
如何写好毕业论文之主题与大纲
通过阅读文献等各种资料也能够找到论文主题,对论文主题犹豫不决的不妨先通过搜寻资料再做确定。
通过OPAC等各种检索系统可以搜索到很多资料,一些重要文献资料可以寻求老师的帮助。
通过阅读搜寻到的资料和资料后的参考文献,检索主题相关的资料,还可以看看相关学会、研讨会的草稿集和论文集。
阅读论文一开始对我们来说有点困难,不妨可以先看看简单的草稿集或书籍。
一旦发现想写的主题,不妨再进行深入研究,由于自己的主观臆想或无知,在主题判断上仍有不足,寻求朋友和老师的意见就显得尤为重要。
通过议论商讨得出简单明了的论文标题,那么需要研究的论文大纲(需要调查什么、研究什么问题、对结论的设想、如何调查)也就随之而来了。
(这一步作为论文序言的基础,决定了论文大纲的制作。
)论文标题不能太宽泛,应该在自身能力范围之内锁定主题,这一点也许比想象得还困难,中途研究方向和主题也常常发生改变。
由于毕业论文的题目必须在5月份确定,所以在考虑论文题目时最好留点修改空间,稍微模糊一些的题目更安全。
篇8:有关日语毕业论文相关要求
今天结合自己学习文章给广大日语系的同学来讲一讲日语毕业论文的写作要求和处理方法!
工具/原料
步骤/方法
1. 日文封面
1)学校名称 (MS Mincho 36号字,居中)
2)论文标题(副标题) (MS Mincho24号字,加粗,居中)
3)作者信息(Applicant) (MS Mincho 15号字,填写内容加粗)
4)指导老师姓名(Supervisor)MS Mincho 15号字,填写内容加粗,)
2. 致谢页(Acknowledgements)
致谢页应包括对给予各类资助、指导和协助完成论文写作工作以及提供各种条件的单位和个人
表示感谢,单独成页。
3. 中日文摘要和关键词页
1)要旨 (MS Mincho 15号字,填写内容加粗)
2)内容 (MS Mincho12号字)
4. 目次(Contents)
1) 题号 (MS Mincho 12号字)
2)内容 (MS Gothic 12号字,正文页码有变动时目录也要作相应调整。)
5. 正文 (6,000~10,000 字)
正文的一般由以下部分构成:
1) 引言部分(はじめ),(填写内容加粗,综述前人的研究成果、存在的问题、本课题研究的意义、理论依据以及拟采取的方法和步骤。(约5,00~1,000字)
2) 主体部分,分析问题,提供有关论据。
3) 结语部分,结论应是本论部分阐述的必然结果,其作用在于简明扼要地重申论文的论点
6. 参考文献(Bibliography)
参考文献为作者阅读过、在正文中被引用的文献资料。中日文参考文献分别列出,日文在前,中文在后。
注意事项
毕业论文一律用A4纸打印,页边距用缺省值(上下为2.54cm,左右为3.17cm)。
[有关日语毕业论文相关要求]
篇9:本科日语毕业论文
摘 要:日语专业的毕业论文一般在第四学年进行,是本科学习的最终一项考核科目。《高等院校日语专业高年级阶段教学大纲》中明确提到毕业论文的目标为:通过毕业论文撰写,培养学生的和直接书面语言运用能力,掌握论文的写作方法,提高思考、分析和解决问题的能力。
关键词:意义 目的 过程 升华
毕业论文完成的基础来源于写作。作为专业教育的必修课程,写作一般在二、三年级开展,共有两次公共考试来评定水平,分别是高校日语专业四级考试和高校日语专业八级考试。(以下简称为专四和专八)
专四对写作的要求是:要求根据规定题目写一篇350-400字的文章,内容要言之有物,表达通顺,格式正确。体裁多为记叙文、说明文,少有议论文,内容贴近学生生活或社会生活。专八对写作的要求是根据指定题目或材料作450-500字的文章。进一步要求用词得体,内容感人,具有较强的说服力,要求考生表明自己的感想和意见,说明文和议论文的比重较之专四有明显提高。
本文首先介绍高等院校日语专业教学大纲中对毕业论文的要求,再结合笔者所在学校的实际情况进行分析,最后说明笔者对于论文指导的个人看法。
一、毕业论文的目的、要求和意义
《高等院校日语专业高年级阶段教学大纲》中对于毕业论文,明确要求到:通过毕业论文的撰写培养学生的和直接书面语言运用能力,掌握论文的写作方法,提高思考、分析和解决问题的能力。要求学生在文中有一定独立见解,论文字数为6000-8000字。
通过将毕业论文与上述专业考试写作要求进行对比,可以发现,毕业论文作为一篇严肃的学位论文,虽因考试时间限制,字数要求差距较大,但其写作目的和要求与专八基本一致。
二、毕业论文写作的现实情况
笔者以自己所在的第二批次录取院校为例,就近3年的日语专业毕业论文进行了一个汇总,得出以下结果。
毕业论文共153篇,选题分类情况如下:文化50篇,文学45篇,社会42篇,语言16篇。通过分析,论文完成过程较顺利,完成情况较好的都不同程度地结合了实际情况,如自己将来的工作和兴趣等。比如,在文化类和社会类题材的论文中有35篇是通过平日喜爱的影视动漫作品来表现的。如从电影《告白》看日本中学生的欺凌问题;漫画《NARUTO》中体现的日本人的团队精神;再如从电视剧《不能恋爱的理由》看日本女性的结婚观等。这是科技进步带来的改变,他们不一定要通过十分严肃或者深沉的途径找到值得深入考察的东西,外语的学习可以更生动,活泼。
三、毕业论文的完成过程
从论文开题到写作再到答辩,每个高校对于毕业论文的流程都有严格的规定和细则。在这些规范之外,完成一篇论文可以简单归总定题―内容―成文,这三个步骤。
1、定题
本科教学中,授课内容很少涉及到比较深入的学术研究,基本停留在语言的学习方面,且学生的生活和社会阅历十分有限,要求他们写出一篇具备思想深度和高度的论文是不切实际的。我建议我的学生从自己的兴趣入手,以由浅入深,以小见大的方式来挖掘平常事物中有内涵的内容。不要把论文写作当做一项苦差,而是要看做一个能够尽情展现自己思想才能和在专业老师指导下研究自己兴趣的好机会,端正了写作的态度,选对了方向,自然这第一步就迈得轻松。
2、内容
常有学生在开始毕业论文写作时,没有一个完整的文章构思之前就匆匆落笔开写,结果出现文不对题,主题松散或写至一半无法继续完成等尴尬局面。产生这一现象的原因就在于大学教学一直强调语言的学习,而论文写作中语言从学习的主要内容变成展示思想的工具。因为没有清楚认识到这点,所以很多学生在论文写作时无法抓住工作的重点,盲目下笔,而导致了上述的问题。
在这里我觉得应该借鉴日本人的制作软件的方法。他们把设计放在第一位,在考虑完每一个步骤和获得客户的完全认可之前,他们可以在修改和提出方案这个不断反复的过程中投入大量的精力,远远超出编程这个阶段。正因为这种事前考虑十分周到,所以避免了在正式制作时以及制成后各种不必要的争端和返工。完成论文也是一样,必须要在正式写作之前大量收集资料和认真阅读、归纳、思考,在对论文的基本内容确定之前都不用着急去成文,以免做无用功。我要求我的学生在题目初定后,都要提交一份提纲,通过面谈确定他们每部分的内容切题,有依据,充实之后才让他们开始成文。
3、成文
日语成文主要看平时的语言功底,指导教师做一定的修正即可,保证语句通畅,基本用词准确,意思表达清楚。
以上是我对论文指导的一点心得。在指导的同时,自己也常会被他们独到的视角和观点所打动、折服。通过论文写作,他们最终达成了自我能力的提升。
培根曾说“读书使人充实,讨论使人机敏,写作使人精确”,踏踏实实地完成以上三个步骤,通过广泛阅读、充分思考的作品才称得上是一篇合格的毕业论文,也是学生自己对大学专业学习的一个最好答卷。
参考文献:
[1] 《高等院校日语专业高年级阶段教学大纲》 教育部高等学校外语专业教学指导委员会日语组 编 大连理工大学出版社 3月
[2] 《日语专业四级考试详解》 许慈惠等 编著 上海外语教育出版社 5月
[3] 《日语论文写作―方法与实践》 于康 著 高等教育出版社 6月
篇10:本科日语毕业论文
摘 要:近几年来,各高校日语专业本科毕业论文的质量不容乐观。本文结合对毕业论文的指导经验,探讨了日语专业毕业论文质量的影响因素,并提出可行的解决办法,以期有效地提高毕业论文的写作质量。
关键词:日语专业;本科毕业论文;影响因素;对策
毕业论文即学士学位论文,是检验学生在本科四年的学习成果的一种方式,是体现本科毕业生对本专业基本理论知识的综合运用能力的一种手段。同时,毕业论文的质量也能够反映出教师的教学效果。因此,如何完成一篇好的毕业论文是每一个本科毕业生面临的重要问题,如何做好毕业论文指导工作也是高校教师亟待解决的重要课题。本文结合近几年对日语专业毕业论文的指导经验,对这一问题展开讨论。
1.毕业论文质量的影响因素
近几年来,随着高校的不断扩招,各高校日语专业的学生人数在不断扩大,教师指导的毕业生人数在逐年增加,工作量很大。同时,日语专业学生对于毕业论文的重视程度不足,治学不严谨,毕业论文的质量不容乐观。以我校-日语专业毕业论文为例,现总结出以下几点:
1.1选题质量不高,缺乏创新性
撰写毕业论文的第一步是选好题目,确定研究对象。通过对近三年我校日语专业毕业论文的汇总调查发现,选题领域呈现多元化趋势。其中,以日本社会、风俗、文化方面最多,其次为文学方向,语言类仅有几例。从这一现象能看出的问题,首先是大多数学生所选题目与所学的专业知识联系不紧密。有关日本风俗、文化的题目与平时所学的课程内容相差甚远,学生对其内容的涉猎并不足以达到撰写论文的程度,只是凭借自己的兴趣爱好去选题,这势必直接影响毕业论文的整体质量。其次,雷同现象严重。在近几年的论文指导过程中,每年都会有学生选择诸如《日本的茶文化》、《日本的饮食文化》等类似的题目,甚至在同一届学生中,相同选题的情况就会出现2、3例。虽然有时论述的侧重点会有所不同,但从整体上看大同小异,缺乏创新性。
1.2文献资料匮乏,知识储备不足
完成一篇毕业论文需要阅读大量的文献资料。很多学生在选题时并没有大量的查阅资料。因此,在动笔撰写论文时往往会因为资料不足而力不从心,论述的内容缺乏相应的理论数据,难以深挖主题。另外,有不少学生在大学四年的学习中专业知识不够扎实,阅读面狭窄,知识面仅限于教材所学内容,这就造成了很多学生分析和解决问题的能力过低。在论文写作时,无法把专业知识与所阅读过的文献资料的内容融会贯通,灵活运用到自己的论文中。在指导论文过程中,常常会发现学生将参考文献中的内容大量复制到自己的论文中,抄袭现象严重。这些现象都充分说明了学生对所选题目的相关资料准备不足,理论知识有所欠缺。
1.3写作能力偏低
以我校日语专业毕业论文为例,论文可使用汉语或者日语写作,鼓励学生尽量用日语完成。但实际上使用汉语的人数居多,只有少数使用日语写作。从写作水平上来看,用汉语书写的主要问题在于错别字多,语句不通顺等,而用日语书写的论文存在问题很多,例如文体形式应用错误,语法错误多,表达方式上出现“中国式日语”的现象严重。另外,很多学生的逻辑思维能力不足,写出的论文结构不合理,内容不紧凑,最终使得毕业论文缺乏可读性和学术性。
1.4主观重视程度不够
根据教学安排,大部分高校的毕业论文工作均安排在大四的第二学期。这一阶段正是毕业生找工作、实习的时期,往往忽视了毕业论文的写作。有的学生甚至认为毕业论文是大学里最后一项作业任务,学校不会为此而不让学生毕业的,在主观态度上不端正。在毕业论文写作的过程中,很多学生匆忙地选定题目,盲目写作,不悉心听取指导教师的修改意见,这样完成的论文质量当然不会好。在修改学生毕业论文的过程中发现,论文中错别字多,语句不通顺等问题有很多。这些问题其实都是可以避免的,只是因为学生对毕业论文重视程度不够,写作不认真所造成的。
2.提高毕业论文质量的对策
针对以上所分析的日语专业毕业论文质量的影响因素,笔者认为应该尝试在以下几方面采取相应的对策:
2.1阅读文献,认真选题
选好论文题目是写好一篇毕业论文的先决条件。在选择论文题目时,不能盲目选择。这一环节,要充分发挥教师的指导作用,指导学生先确定一个总的选题范畴,然后有目的的去查找相关的文献资料,可以应用图书馆、资料室和网络等资源去查阅,并结合自己的兴趣筛选出一个适合的研究内容,确定题目。这样,学生在撰写论文之前就能够对自己所要研究的对象有充分的了解,正确把握写作方向。
2.2增加知识储备,提高分析和解决问题的能力
阅读大量的文献资料是论文写作的前提,它为毕业论文提供充分的理论数据。大四学生普遍存在阅读量小的问题,尤其是本专业的拓展知识方面尤为欠缺。因此,应该在本科生的日常教学中,扩大学生的知识面,在课内和课外有计划地增加学生的阅读量,注重培养学生分析问题和解决问题的能力。论文写作的过程中,指导教师应在参考文献的选择和如何阅读文献资料方面给与引导,使学生能够有条不紊地完成毕业论文。
2.3重视毕业论文写作,提高写作能力
很多学生对于具有学术性质的毕业论文写作缺乏了解,不清楚毕业论文的结构和撰写步骤,不知道如何选题,怎样查找文献资料,更谈不上提出新的见解。这一问题应该引起学校、指导教师和学生本身的重视。在课程体系设置方面,可以在大三第二学期或大四第一学期开设专门的学术论文指导课程,提前教给学生毕业论文的结构,如何收集资料、确定选题,拟好论文提纲,进而完善毕业论文的内容。在主观上引起学生对毕业论文的重视,在客观上让学生学会撰写毕业论文的方法。这样,学生在真正开始论文写作时就会少走些弯路,提高毕业论文的质量。
虽然在平时的教学中学生会进行日语写作训练,但是毕业论文的写作方法与普通的作文是有很大差别的。在学术论文指导课程中,在传授论文写作理论知识的同时,应该多给学生提供实际练习的机会,使学生在文章体的表达方式和论文的架构能力方面有所提高,尽量避免学生面对毕业论文出现盲目感。
2.4加强毕业论文工作的管理,严把质量关
学校对于本科生的毕业论文工作应该予以严密关注,制定出一套详尽的实施细则。毕业论文工作中的几个重要步骤即指导教师的分配、选定题目、论文开题、完成论文、指导论文,到最后的论文定稿、答辩、成绩评定,每一项工作都做到明确细则,从学校到院系,从指导教师到学生都可以做到有章可循、严格按规则行事。这也能够培养教师和学生对待学术及工作的认真负责的态度和严谨的治学作风。
3.结语
毕业论文是对本科生的专业知识的掌握情况和综合能力的有力体现。影响毕业论文质量的因素有很多,本文只是对其中突出的几点加以列举和分析。在今后的教学中,我们应该结合学校、指导教师和学生三方面的力量,根据日语专业的特点,在日常教学中有计划地指导学生写好毕业论文,有效地组织好毕业论文工作,争取取得更好的效果。(作者单位:安阳师范学院外国语学院)
参考文献:
[1] 杨秀娥.日语专业毕业论文选题过程研究[J].日语学习与研究,,(5).
[2] 封小芹.日语专业毕业论文设计与“中日文化比较”课程的设置[J].长春理工大学学报,2012,(3).
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[4] 董华.大学毕业论文写作指导[M].北京:中国社会科学出版社,.
篇11:本科日语毕业论文
摘要:随着各大院校开设日语专业以及目前中国经济进入“新常态”,在华日企运营受到一定的影响,形势呈现趋紧势头,就业又添难度,日语专业毕业生就业情况并不乐观。本文将根据25家常熟东南开发区日企、65名日语专业学生、115名本院日语毕业生以及部分高校的调查数据进行分析,阐述日语课程与企业需求之间的差距、日语毕业生能力具备要求与企业需求差距、在校日语专业学生应当重视的焦点等问题。
关键词:在校生现状;毕业生调查;用人单位需求
近年随着语言教育的不断发展,语言专业学生数量剧增。随着日企进入我国,日语专业的学生数量明显增加,但毕业后能否找到与本专业相符的工作成为各界关注的焦点,同时也是我们日语专业学生关心的问题。本次研究主要是站在未毕业的日语专业学生的角度,思考并研究日语专业就业问题,为本专业学生提出建设性方案。
一、研究概况
1.研究目的。通过分析日语专业学生就业问题,找出与之相对的应对措施,帮助日语专业学生在掌握原有的日语专业知识基础之上,找到符合用人单位要求的其他技能要求。
2.研究对象。本次研究主要以我院2009~2012级日语专业毕业生和目前在校的日语专业学生,以及常熟市范围内(主要以东南开发区为主)的日资企业的人事部门、日语专业的从业人员为主要调查研究对象。
3.调查研究方法。主要是采用数据分析、问卷调查辅助的市场调查、电话邮件采访以及文献查找法来展开研究。
二、研究内容
1.在校生现状。对目前在校生现状包括课程安排、校方培养计划进行资料整理,列出日语专业学生在校所学内容。通过分析得出目前哪些课程是对工作影响很大,哪些是未涉及到而企业恰巧需要的。
2.毕业生调查。从近年来我校日语专业毕业生情况,包括毕业前志向、毕业后实际从事职业以及在其工作中日语的使用比率等,来分析目前日语专业学生的就业方向和选择。具体列出脱离日语工作、单凭日语工作以及日语与会计、IT、管理相结合工作的比率。
3.用人单位需求。从市场需求的条件、用人单位对日语专业毕业生其他方面能力要求方面出发,进行调研,得出市场调查结果。
三、研究调查结果分析
1.课程内容分析。根据日语专业四个年级课程安排及培养计划,得出如下分析:①基础知识方面:日语会话、听力、语法、口译、作品选读。②操作实践方面:日语文字处理、日资企业见习、日语演讲、国际会展实训,学年设计。③翻译方面:基础日汉互译、商务模拟翻译、高级口译。④商务方面:商务日语会话(新设:商务日语写作、电子商务实践)。⑤其他知识扩充:职场英语、国际金融、进出口贸易、报刊新闻选读。企业所需要的学校课程都有涵盖(企业所需由后文4可知):会话(商务日语会话)、写作(商务日语写作)。课程中未曾涉及日语商务电函,不过这一课程有开设英语商务电函,我们应自行弥补学习。我们所欠缺的是:①对自己感兴趣领域的涉足,应当自行学习培养。②对启蒙基础知识,未掌握、实际运用那少,应当扎实掌握,利用学校提供的实践机会。
2.毕业生调查结果分析。我们采用自制的“日语专业学生毕业生情况调查”问卷,运用随机抽样的方法。通过网上问卷的方式进行,还有部分采用电话询问的方式,将得到的回答也已以数据形式反映(样品数为115,回收的有效问卷63份),具体问卷内容及数据分析如下所示:目前从事的工作是以下哪个方面?由数据统计可以得到,2009~2012级日语专业毕业生目前从事与日语专业无关的工作占总数的20.63%,其次则是单凭日语工作的为19.05%,剩余均为从事日语+其他。由此归结出,日语专业毕业生在实际就职中大部分都是将日语结合其他技能进行工作的。结合最多的有:财务、人事、计算机、采购、其他(包括国际贸易、市场营销、产品设计)。另外,通过电话访问得知:从事日语结合金融、人事、计算机的毕业生均在毕业前取得相关证书。从事其余类型工作的毕业生反映,企业有入职后的专门培训与学习。关于问卷中涉及的日语毕业生“实际工作环境中用到日语哪方面更多”这一问题调查,有77.78%的毕业生表示会话在实际工作中用得更多,仅次其后的听力为69.84%,写作则为30.16%。此问题主要是为了调查日语专业学生在实际工作中日语的有效利用率。同时,也一定程度地反映了课程与实际的差异,从而得出我们应该加强哪一方面的训练,并及早地发现自己是否背离日后工作的需要。结果显示,会话与听力占比例最大。当然,从电话采访中可知,日语翻译与文案编辑者,仍会用到写作。因此要看个人选择,但是从调查结果可以看出的是:会话与听力为每一项日语工作者的最重要的能力。“在工作中最后悔没具备哪方面知识?”统计结果显示:日语专业知识使用(商务、金融)为42.86%;计算机方面知识为12.7%;企业岗位专业知识为7.94%。本题则是为了发现工作中应具备的其他能力大多有哪些,帮助在校生利用剩余时间进一步武装自己,多学以备不时之需,但也并非遍地撒网,而是有目的地扩充知识。由此看出,日语专业毕业生在实际工作中,还需具备或应当扎实的知识技能有:其他外语、日语敬语、邮件函电、具体领域术语涉猎。
3.在校生现状。
在校生现状主要包括心理现状,对日语以及课程、未来走向的态度看法调查。通过网上问卷的形式对目前日语专业学生进行了问卷调查,以此为了进一步发现学生对课程的反应与实际要求相比的差距性。调查结果如下:当初选择日语专业原因?有44.68%的学生表示没有目的地选了日语专业(服从调剂),有38.3%的学生表示自己是对日语及日本文化感兴趣;8.51%的学生为了以后就业;仍有8.51%为了去日本发展。另外,对于“除了日语,你是否还获得了其他类的证书”的问题调查,从问卷结果看出68%的学生目前暂无,剩下的32%中以计算机和会计为多。从在校生的现状及其对日语专业的态度进一步推进研究的进展,得出大多数日语学生的意图与态度是积极的,并且有大部分的日语专业学生已选择将日语结合其他技能作为自己日后从业的砝码。
4.企业市场调查结果分析。
以常熟地区主要是东南开发区以及周边的日资企业(三菱电机自动化、东南相互电子、纬创资通、丰田物流)的人事主管为对象,主要采用问卷辅以问题采访的形式调研,部分采访则是通过日语从业人员的传达完成。内容主要是日资企业对日语专业毕业生的知识结构和工作能力的要求以及相关建议。采访内容:
①目前公司是否需要日语专业人员。②日语从业人员的主要工作岗位或是负责范围。③对日语专业人员的相关标准,是否硬性规定证书获得。④应届毕业生是否受欢迎,工作中更需要口译还是笔译。⑤除了日语,还需具备哪些技能。⑥用人单位对日语专业学习者有哪些要求和建议。受访用人单位回答总结如下:用人单位对日语的口语要求更高,但同时也补充了,岗位不同要求也会有一定不同(日语翻译则侧重于翻译水平和写作能力,不过大多数公司都是复合岗位,口语是基础)。
受访用人单位表示,希望毕业生会商务电函基本回复,具备基础的计算机操作技能(办公软件足以),具体的领域专业知识,毕业生不必太拘泥,企业会有后期培训。对于能善于表达自己、有明确主张看法,并能及时处理事物的人,用人单位表示很乐于采用。受访者认为从业的日语毕业生的欠缺之处是缺乏自信、不善表达自我主张。日语从业人员的从事的不单是日语,大部分为:采购员、会计或出纳、秘书、业务担当、总务、翻译、市场销售、财务秘书。另外,用人单位受访者还表示,应届毕业生受欢迎,有前途,是年轻血液。同时表明,对求职者的要求不是刻板不变的,证书不是硬性要求,主要看重你能否听得懂说得出。有些水平是可以在日后锻炼出来的,但并不代表不要求会,前提是你要会并能说出,水平是另一回事。
四、调查综述
综合上述的`调查结果分析,日语专业课程安排与企业要求大致是相符的,也是更趋于实践实训,但日语专业学生欠缺的是将基础学习扎实。根据调查得出,公司口语与商务日语会话这两项是重点。对于复合型人才,根据调查数据可知,企业更倾向于具备金融和计算机或者其他专业的日语毕业生。而大多数人都只是在单一的语言文字上熟悉,其他知识面较欠缺。企业所需要的人才趋势是综合能力较强的复合型人才。根据毕业生的调查可知,金融与计算机等复合技能是有必要的。这是目前得出的有利于在校生的有用信息。在此基础上,在剩余时间熟悉某一领域则更能适应用人单位择人要求。要有所长也要有专长。以上就是此次调查研究的总结与汇报。希望能对日语专业在校生起到一定作用,为以后努力的方向提供一些帮助与启发。
五、结语
本次研究调查为期十个月,课题小组第一次站在未毕业日语专业学生的角度去研究日语专业毕业生就业问题,从而找到让自己适应就业需求的有效方法。整个研究过程从前期的资料收集以及汇总搜集毕业生的联系方式、设计调查问卷、在网上公开问卷并收集,到后来的在招聘会现场进行市场调查,进行电话采访、用人单位采访、与毕业生交流,这每一步的进展都离不开小组成员的分工与合作。问卷的设计是小组成员集体智慧的精华,虽说可能并不能代表所有学生的心声,但也应该能反映绝大多数学生的想法。在研究过程中,有些采访问题也是主要依据研究方向而设置的,未能做到具体细微,但精华与有用信息已写入报告。希望本次研究调查能对日语专业在校生起到一定建设性作用,为以后努力的方向提供一些帮助与启发。最后,我们还要感谢李敏英老师的指导以及赵静、王京钰、闫飞老师为我们提供的帮助。
参考文献:
[1]常熟理工学院日语专业本科生培养方案及培养计划[Z].
[2]刘琦霞.浅谈国际化和日资企业所需的专业人才[J].对外经贸实务,2009,(5).
[3]秦秋,程冷杰.复合型外语人才培养的研究与实践[J].中国大学教学,,(9).
[4]黎娟.日语专业学生的就业前景[J].企业家天地,2009,(10).
篇12:本科日语毕业论文
摘 要:毕业论文是培养和检验学生综合运用所学理论知识分析问题、研究问题、解决问题的重要手段,考查重点是语言基本功、专业知识应用和思辨创新能力。毕业论文的形式可为学术论文、翻译作品、实践报告、调研报告、创意写作等,选题应符合培养目标的要求,格式需符合学术写作规范或行业规范。对日语专业毕业生提供毕业设计形式多元化选择的改革是非常必要的。
关键词:日语;毕业论文;多元化;改革
毕业论文作为检验大学生的学习成果以及分析解决问题能力的手段之一,无论对于学生、老师,还是学校,都具有重要的意义。但是近年来,抄袭拼凑、代写、答辩走过场等问题导致毕业论文日益质量低下。再加上,由于毕业生面临就业压力,大多本科生的论文粗制滥造,毕业论文屡屡成为教育工作者讨论的议题,对其存废也充满争议。日语专业因为是从零起点起步,所学课程多为专业基础及商务实用类型的课程,而以往毕业论文常常容易出现既与职场需求脱钩,也与平时所学课程乖离的现象。笔者利用问卷调查了长江大学日语专业的毕业论文状况,发现引用率过高、语法错误、口语化表达、结构松散和缺乏独立见解等是论文普遍存在的问题。其产生的原因是多方面的,既有学生学术素质上的因素,也有教学和管理上的因素,更缘于大学教育与社会实践的严重脱节。
针对这种现象,有必要对日语专业本科毕业论文进行改革。改革本科毕业论文单一和流于形式的现状,尝试多元化的考核与评价方式成为必然。
根据当前经济形式发展、社会市场需求以及日语人才培养的要求,可以从毕业论文形式上进行改革,实现多元化的形式。具体来说,可以将毕业论文形式定为学术论文和非学术论文形式两种。学术论文主要针对毕业后考研的学生,培养学生的资料整合能力、知识构架能力,为研究生阶段的学习打下基础;非学术论文主要针对毕业后就业学生,培养学生的综合性、实践性、应用性、创新性与多样性,从而实现教学改革与社会实际需求的有效对接,满足社会对各层次、多种类型人才的需求。
具体来说,非学术论文形式又可采取社会实践报告、翻译实践报告、跨文化案例分析等形式。社会实践报告通过对希望从事行业或感兴趣行业的社会调查,提交实践报告,重点培养学生发现、分析和解决问题的能力。翻译实践报告,可参考其他院校翻译硕士毕业论文的经验,借鉴专业翻译公司的全程管理模式,使学生在大学校园内就能够熟悉、掌握职业翻译所应遵循的操作流程,为毕业后尽快适应实际工作创造了条件,使毕业论文成为毕业生连接职场与校园的一座桥梁。跨文化案例分析主要是指用跨文化的视角,结合跨文化交际中的文化差异问题,以具体实例为解读线索,归纳总结中外文化差异现象。研究视角可选取中日国情、文化、历史、艺术、民间交流、贸易往来等各多个层面。要求毕业生必须以跨文化交际理论为纲,以案例分析为线索,解读所选主题。案例分析须涵盖背景介绍、研究角度、研究路径、案例分析、主题解读、结论等方面。
除此之外,还可以积极采取其他毕业论文替代形式,对于在本科学习阶段获得与本专业相关的高级别、高水平学科竞赛国家级奖项、省部级奖项奖项者,在以第一作者身份在核心期刊公开发表与本专业学科相关的学术论文者等等,可以尝试以此来替代毕业论文的写作任务。从而达到鼓励学生向着多元化创新性人才方向发展的目的。
对日语专业本科论文的写作形式进行多元化改革,有利于饱受质疑的毕业论文抄袭、选题单一、狭窄、缺乏实效、与社会脱节、没有创新意识等弊端得到有效缓解,学术考核更为务实创新。有效地促进高校日语本科毕业论文写作质量的提高,对有针对性地修订教学大纲提出建设性意见。同时,激发学生个性潜能与专长展示,促进全面发展,更好地培养学生的创新与实践能力。对进一步完善毕业论文教学管理和评估体系提供理论指导和参考。
伴随着毕业论文写作形式多元化改革,亟需解决的首要问题即评价体系的制定与完善。无论是学术论文写作形式还是其他非学术论文形式,都必须严格过程监控,精简务实,加强质量管理。学术论文的写作可以参照多年来的评价标准和体系。非学术论文写作必须符合《高等学校日语专业教学大纲》提出的要求,即能够考查学生综合能力,长度不少于5000个单词(翻译除外),要求文字通顺、思路清晰、内容充实,有一定的独立见解;除翻译作品外,一般使用日语撰写。评分时除了考虑语言表达能力外,还应把独立见解和创新意识作为重要依据。
聚焦教学环节中的最后一环CCCC毕业论文,将其作为突破口,用论文改革倒逼教学改革,使学生不但能够通过毕业论文的写作提高外语写作能力和学术素养,而且要努力将毕业论文打造成培养应用型人才的综合性实践教学环节。同时,针对论文指导工作也应进行改革,可以尝试让日本外教也参加论文指导,对部分学生实行中、日双教师指导制,努力使这部分论文首先成为能够代表日语专业教学水平的“精品”论文,为其他学生做出表率。随着毕业论文的改革,日语专业的教学改革与专业建设也将迈上一个新台阶。
参考文献:
[1] 蒋良波.非传统形式毕业论文(设计)质量监控的探讨[J].时代教育,2012(11):149
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